幻と現のあいだ

現実見てないわけじゃない。だから夢も見ていたい。

Hey!Say! JUMPデビュー10周年おめでとうございます

 

 

2007年11月14日。

全員が平成生まれという字面からしてかなりフレッシュな、かついろんな意味で話題にあがりそうなグループがジャニーズ事務所からデビューした。みんなご存知Hey!Say!JUMPだ。

 

当時中学1年生だった私はデビューして間も無くこのグループを友人を介して知り、その前の年に“プリマダム”というドラマに出ていた中島裕翔くんの存在を確認してから一気にジャニヲタ界隈に引きずり込まれた。

「あのドラマに出ていた男の子、ジャニーズだったんだ!ってかデビュー??!?!最近したの?!!?!?なにそれ!!!!!!」

裕翔くんは自分より年下だと勘違いしていたくらい可愛らしい顔をした綺麗な男の子だって印象だったのに、まさかアイドルだったなんて。

その次の年の1月、両親に伝えた私の誕生日プレゼント希望はHey!Say!JUMPのデビューコンのDVDだった。初めて自分で買ったCDもHey!Say!JUMP。友達に教えてもらったアイドル誌を買って、数少ないTV番組を見て、茶の間だったけど確実にヲタク街道を歩いていた。

 

月日は過ぎて2009年の春、JUMPが初めて私の地元がある九州の福岡でコンサートをしてくれることになった。JUMPが初めて九州まで来てくれる、これは行くしかない!私は厳格な父に生まれて初めて必死にお願いし、泣きながらコンサートに行くことを了承してもらい、当時八乙女担だった友人とうちの母に連れて行ってもらってJUMPのコンサートに行った。

人生で初めてのコンサートだった。

目の前にいるのはTVや雑誌を通してしか確認できなかった人たち。よくわからなかった。

でも裕翔くんはいた。端から端まではしってた。笑顔を振りまいてた。

 

こんな夢のような話のあとで、高校受験を経て、私は少しヲタクから離れていた。当時のJUMPは現場の多さと反比例して圧倒的メディア露出の少なさ、CDリリースの少なさがあったと思う。地方にいる私にとって、JUMPと触れ合う機会が必然的に減ってしまう。デビュー当時はクラスで話題になっていたJUMPもその頃にはそこまで話に上がらず、どちらかといえば嵐の勢いがピークに達し継続していた時だった。だから私もその流れに飲まれ、嵐の大野くんを応援していた。

 

嵐の提供するエンターテイメントはJUMPのコンサートに入った時以上の圧倒感があった(あくまで個人的見解)。

JUMPは全てが初めてすぎてわけがわからなかったのに対し、嵐はキャリアに準じたパフォーマンス、演出の数々で、これがジャニーズか!って思わされた。もちろんコンサート自体が初めてでない、という精神的安定感も影響していたと思う。JUMPが悪いわけではなくて、これがキャリアの経過によるものだしグループの魅力をどう引き出すか、腕を磨いてグループとして成長していく過程だから、きっと自然なことだと思う。

 

当時は理解できていなかったけど、Ya-Ya-yahから薮宏太・八乙女光J.J.Expressから高木雄也・有岡大貴・伊野尾慧・中島裕翔・知念侑李・山田涼介・森本龍太郎が選抜され、そこに入所して1年ちょっとの岡本圭人で結成されたグループ、統一されたスペックもクオリティーの高さもこれから積み上げていかなければならない、そんな状況でたくさんの現場をしていっていて、グループとしてどう進むか、大変だったろうしとにかく大人の言う通りにやってたんだろうなって思う。森本くんのことも色々あって、どうなっちゃうんだろうって思ったこともまた事実。

Kis-My-Ft2やABC-Zはデビューまでが長かったけどそれまで積み上げたものがあったからこそグループとしての強さはあって、デビュー前にも熱烈なファンがいて。それとは対照的に、JUMPは様々なところから来た様々なファンがいて、なんなら7〜8割くらい山田担なんじゃ??!?!ってくらい山田くんのファンが多くて。それはそれでアイドルとしての形だったのかもしれない。でもなんとなく国民的アイドルとかアイドルの王道という名前とは違う気がして、身内でただ盛り上がっている、そんな印象だった。JUMPのことは大好きだけど、JUMPが好きっていうことに抵抗を感じてしまっていた。

 

 

しかしそんなこんなでJUMPは私が見ていないところで成長を遂げて、フォーメーションダンスを強みとするグループの魅力を持てるようになっていて、いつのまにかメディア露出が増えて、俗に言う伊野尾革命、有岡くん八乙女くんのヒルナンデス火曜レギュラー起用、裕翔くんのモデルや俳優業での活躍、知念くんの映画やドラマ、そして絶対エースの山田涼介の存在…高木くんや圭人くんや薮くんも含め、JUMPはいつのまにか好きと言っても抵抗感のないアイドルになっていった。久しぶりに入ったHey!Say!JUMPのコンサート、2012年のJUMPWORLDでは2009年のあの時と全く違って、それは彼らがいるだけではなく魅せるという技術を駆使したエンターテイメントが繰り広げられていた。

 

2013年の全国へJUMPツアーの時に聞いたJust For You(Hey!Say!7の楽曲)はあんなに幼かった4人がこんなにしっとり歌い上げることがだからなんて、と涙した思い出もある。

そしてs3art、JUMPingCARnival、DEARと、魅せ方をどんどん進化させていく彼らのコンサートはまさしくジャニーズ事務所のアイドルで、人々を魅了するエンターテイメントだった。

今年のアリーナツアーは残念ながら参戦できなかったが年末にある東京ドーム公演に足を運ぶため、かなり楽しみにしている。

 

 

高校の友達がキスマイが気になっていたはずなのにいつのまにかJUMPが気になって、と言い始めたり、大学の友達が中学生のときはクラスで話はあったけど自分はハマらなかったのにいつのまにか大学でJUMPを好きになって初めてのコンサートの一緒に入ったり、ジャニヲタでもなんでもなかった人がある日ジャニーズの世界に引き込まれるという不思議な現象がJUMPを介して始まっているということがJUMPのアイドルとしての集大成を表しているような気がしている。

 

 

私はHey!Say!JUMP、ちょこっとだけ嵐、Kis-My-Ft2、そして、今ジャニーズJrのSnow Manという変遷を経て10年ヲタクをしている。人生の半分に届きそうなくらいジャニヲタをしていて、ジャニヲタしているからこそ経験できることや喜び・楽しさの充電感、現実で辛いことがあっても忘れさせてくれ、そして問題と向き合わせて頑張ろう!と思わせてくれる存在のありがたさ、なにより出会えたヲタクの友人と何にも変えがたいひとときを提供してくれているアイドルの存在に助けられている。

人生変えてくれたといっても過言ではないと思うし、アイドルがいてくれるからこそ、困難な壁にぶつかったり、どうしようもないことで落ち込んだら、自分の価値のなさに悩んだりしても、人生投げ出したりせず、それなりにしっかりと歩むことができていると思う。あのとき裕翔くんを見つけなかったら、JUMPに興味を持たなかったら、コンサートに行かなかったら、私はどんな人生を歩んでいたんだろう。果たして自分の人生を全うすることができてたんだろうか、とさえ思ってしまう。

 

 

デビューした後に模索を続けたHey!Say!JUMPと、デビューするまでに苦節を要したKis-My-Ft2を渡り歩いたヲタクの経緯は、Hey!Say!JUMPと同世代であり、Jrグループとしてキャリアを積んでいるSnow Manを応援する上でもたくさんの視点に繋がっているし、なんなら阿部くんに出会えたのは回り回って裕翔くんのおかげだと思うと、やっぱり裕翔くんは特別な存在なんだなあって思う。

 

裕翔くんは見た目も抜群にタイプなわけだけど、コンサートで他のメンバーと比べて誰よりも高く飛んだり、手足の長さを弱点にしないダンスのグレードアップがあったり、JUMPで1,2を争うファンサマシーンだったり(私は干され続けているが気にしてない)、モデルや俳優といった自分の伸ばせる分野で活躍したり、ドラムやカメラ、その他たくさんの特技と趣味を持っていたり…そういう人間的豊かさみたいなところにもすごく惹かれるわけで、あの時裕翔くんに反応した中1の私はある意味正しかったんだと思ってる。

 

 

書いてること飛んでて支離滅裂なのは承知の上なんだが、要するに、Hey!Say!JUMPの10周年は私のヲタクとしての10年にめちゃめちゃ影響しているものであり、Hey!Say!JUMPというアイドルグループと中島裕翔くんにはとっても感謝していて、今日という日を迎えたことにとてもエモーショナルになってしまった、ということを伝えたかった。

 

 

 

Johnnys' ALL STARS IsLANDのやぶひかやっぱり見たかったなあ…そして中島裕翔の麗しのBad Girl(中島裕翔のソロ曲)を今の裕翔くんでフルでパフォーマンスしてくれる機会が来てくれることを祈ってます。

 

 

Hey!Say!JUMPがこの先ますます進化を遂げて、どんどん素敵さが増していきますように、そして、どんどん活躍の場を広げて、さらに上のアイドルになることを祈念しています。

 

改めてHey!Say!JUMP10周年、おめでとうございます!